Manaslu Around Treck



5月5日 快晴 7時20分出発、スパッツ、オーバーパンツ、雪の装備で出かけたが雪は20㎝程ですでに先行パーテイのふみ跡もあり歩き易かったが40分程でManasluBCへの分岐よりManaslu主峰が見えた。
ここからはマナスルは見えなくなるので暫くマナスルの主峰や回りの雪山の写真を撮った。
登斜面に差し掛かると雪崩の跡のデブリが200mに渡り崩れの穴や塊を乗り越えてようやく脱出できた。
マニ石のところで休んでいると先にサムドー(Samdo)に荷物を置いてきたポーターのゴプルが迎えに来た。
11:40 Samdo着、3875mで酒類はここまでと決めてビールで乾杯。
昼飯後、高所順応で目の前のチョルテンのあるところまで200mを登ってきた。
夜は持参した餅を焼いてほかのスロバキアから来た二人に味わってもらったが初めてのものなので評判はいまいちだった。彼らに名刺を渡し日本の富士山を見てびっくりしていたのが印象的だった。

5月6日 快晴 早めの7時に出発。
昨日の天気で雪はほとんど解けて歩き易かった。
途中、水力発電所(送水管15㎝)があったが電気は下のサムドーまでで上のダラムサラ(Daramsala)には供給していない。4400mのダラムサラは豆電球のみだそうだ。
また、これより左にはチベットへのルートがありいずれそこまで道路ができる予定。コロナ過で現在も交易は中止していて何時になるかは不明だ。
高度が増すにつれ風も強く時折強風が吹き、暑さには心地よかった。沢を巻くように5,6回回り込むとようやく
最終目的地のダラムサラが見えた。前方からポーターのゴプルが下ってきて二人の荷物を前後に担いでくれて助かった。11:35ダラムサラ到着。
昼飯にスープヌードルを食って1時から最後の高所順応に1時間程登り14:30ロッジへ。
明日は3時起床のため18時には寝た。

5月7日 3時起床 朝飯は抜いてスープのみ。
4時に冬装備とアイゼンをはいて出発。ヘッデンの明かりを頼りにラルキャラ((Larkya La)5163m目指して雪の斜面をひたすら登る。
2日前から食べ物が消化せず高山病の症状か力が入らず息が切れる。ガイドが荷物を持ってくれているがそれでも体は重い。
4時過ぎるころには後続のパーテイがやってきて抜いてゆく。欧米の連中は体も大きいが足も長いので速さには勝てない。先日、マナスルが見えた分岐で出会ったに日本人のA木さんもパートナーと着いてきた。
峠までは7,8回の休憩か昼少し前に到着。記念撮影したり行動食を口に入れてビムタン(Bimtang)目指して
下山開始。途中霧が出て暫くの間はホワイトアウトで足元も見えなくらいになり慎重に下る。やがてガスも切れて前方は見えるが急こう配のトラバースで雪も深くストックが埋まる程でなかなか先に進まず時間だけが経過した。ようやく尾根筋まで下りそこから尻で滑って見ると意外と早く下れる。相棒のDさんはドンドン下って行った。アイゼンのききも悪く雪が腐り始めたので滑落の心配は内容だが5000mから3800mまでの落差は遥か下の河までは相当距離が離れている。40㎝の雪も下降点まで下ると20㎝くらいと浅く歩きやすくなった。
河口近くのルートまで来るとようやく緊張感から解放され小さなロッジでレモンテイで一息できた、
さらにビムタンまで延々と先の見えないロッジを目指して下り18:40Bimtangに到着。
Sashm Hotelと言い先に2組到着していた。疲れていたのでビールだけ飲んで寝た。

5月8日 晴れ 昨日の疲れも一晩で取れたようだ。
朝飯はお粥とスープ。マナスルのピーク(8163m)とヒマルチュリ(7540m)が雲間に見え隠れしていた。
Himlung(ヒムルン)2969mで昼飯を食べ14:40Karche(カルチェ)まで来て雨が降り出したのでそこでとまることにしたが本降りになり丁度良かった。そこは我々だけで最も新しいロッジだった。コテージのようで明るく最高の場所だ。ストーブもすぐに火をつけてくれてビールとポップコーンや煎り豆のおつまみで晩飯までのんびり過ごした。

5月9日 晴れ 朝はのんびり過ごし7:45出発。
日差しの強い中をアップダウンを繰り返しながらDhoud Kholaのミルク色の河に添って下り、やがて樹林帯の中ではチエーンソウの音や石切りの音が聞こえてくる。村が近いのかといえばそうではなかった。山の中での
作業でどこにいるのかわからない。やがて小さな村が見てくると今度は重機による道路の拡張で蛇篭に石を詰め法面の工事だ。ロッジと畑が混在する大きな村に到着するとワイハイ工事のケーブル運搬に向かう村人や道路工事の人が行き交う。ネパールはネットが進みスマホの普及率は相当なものだ。車道を下ることさらに2時間でチリチョ(Tilicho)に到着。11:40、2300m,昼飯を食っているとポーターが何処か出て行った。
後でわかったが先の橋の先まで車が来ていて乗れるか交渉に行ったようだ。
ダラパニ(Darapani)までは4時間かかるが車に乗ればベシサハール(Besi Sahar)までを短縮できる。
ジープの荷台にダーフバックとザックを載せ出発。しかしできたばかりの道路でがたがた道でけつが痛くなる程の揺れで捕まらないと頭を打つ。ダラパニからは多少道は良くなるが、6年前はこのルートは登山道を歩いたので車道の記憶がない。途中の滝の展望場所で休憩し、ベシサハール(BesiSahar)着、16:30、800m
トレッキングもここまで。
 
   滝見ポイント
 

Larke peak
 

この先にデブリが 
背景はチベット


5月10日 晴れ
カトマンズまで7時間、途中展望の良いホテル、レストランで昼飯は焼きそばを食った。
帰りのハイウエイ(といっても普通の道路)はいたるところで拡張工事とトンネル工事で大渋滞。
15:40 カトマンズ、富士ホテル 着。

 

MBC分岐
 

峠のロッジ
 


3,300m地点のロッジ


ベシサハール
 

前方が峠
5月11日 晴れ
SQ441、23:10,シンガポールに向かいSQ012にて5月12日17:30 成田到着


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         マナスル主峰右、8163m、北峰7157m
写真はサムネール画像ですクリックしてご覧ください。
2023年4月25日~5月12日
マナスルサーキット トレッキング

4月25日 成田泊

4月26日 SQ441,SQ442 Kathmandu23:10着。

4月27日 TreckingPermit申請で 待機しタメルで買い物。

4月28日 ジープでマチャコーラコーラまで移動して、14:00~16:50トレッキング開始し,タトパニまで。
ロッジ前の露天風呂につかり汗を流した。
 断崖に建つ道路
 温泉

4月29日 2日目はドバンを経由しサレリまで。
途中断崖を切り開きチベット国境までの道路の建設が始まっていた。開通までは約6年かかるという。ジャガットで昼飯を食って麦畑のあるサレリはロッジの新築工事をしていた。夕方には雨が降り出した。

ロバの隊商
 
 

掘作機で岩を砕く

渡渉
 
 

4月30日 3日目、7時出発でブリガンダキ添いの河原を歩き対岸のフエリムで10時の休憩。
長い吊り橋の下では川砂を採取しロバの背に載せて14,5頭がどこまで行くのか運んで行った。
チソパニを11:00に通過し、ガネッシュヒマールの分岐から対岸の峠で休憩。高巻の深い森を抜けると1軒宿のロッジに到着。ペワと言い河の音もしない静かなところだった。

5月1日 4日目、朝から小雨模様で雨具をつけて出発。デンを8:20通過し、10;40峠の茶店で休憩、そばにはリンゴ畑がありそれを丸かじりした。
ビヒ(Bihi)でお昼はマカロニを食べた。ガップ(Ghap)には16:25到着。

5月2日 晴れ 8:50小さな橋を渡り峠に着いてここも大きなリンゴ畑があり新しいロッジが1軒あり暫く休憩しナムルン(Numrung)を通過しリー(Lhi)で昼飯。チョルテンのあるロー(Lho)に16:20到着。3180m
晩飯はモモ、スープといつものビール。

5月3日 曇り 両側を石で囲まれた畑の間を高度200mを登り山の斜面にはシャクナゲが点々と咲き和ませてくれた。ついてくるトレッカーもなくのんびり歩きたまに下ってくるロバの群れとすれ違いながらさらに急登の坂上に長い吊り橋がありその先は開けた草原が見えた。遥か先には今日の宿サマ(Sama)3520mが見えた。看板には1時間とあったが、2時間でも着かない。11:55、NoringHotel。すでに3組のPartyが
食堂で懇談していた。

 SamaからのManaslu
MBC/Manaslu
Manaslu 8163m
 
LarkyaPass 5,163m
 

5月4日 雪 今日は高所順応でステイの予定だが雪のためロッジで待機。
昨夜の大雨が雪となり背後の山は真っ白で、今後の予定もガイドと相談し様子を見る。
翌日、サムドー(Samdo)3875mで前進するか引き返すかの判断すること。
             

リンゴ畑
 

ヤク


ブルーシープ
 
 


麦畑