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海外編

四回目のヒマラヤ トレッキング (LANGTANG HIMAL)
 


  
左、LangtangU(6596m) 中央、Langtang Lirung(7227m)           ヒマラヤ襞に映えるGanchenpo(6387m)

2011年12月26日〜2012年1月9日
Guide:Bir 
Poter:Zai、Oula 

12月26日 東横イン成田 泊
12月27日 CX501便、成田10:45〜香港15:20、CX6732便 香港17:45〜カトマンズ23:20
香港からBirによく似たネパリがすぐ後方の席に座り思わずビックリした。カトマンズで迎えのBirにこの話をしたら末弟のZaiさんだという。
彼は福岡に行き書類の不備で入国拒否でカトマンズに戻されてのちに我々のトレッキングに合流してくれることになった。
Bir家について翌日からの打ち合わせと行程中の費用の支払いを済ませて2時ごろ就寝。 長い1日を終わる。

12月28日 起床06:30、朝食07:30
同行のポーター オウラ(Oula)が到着し、ランドクルーザーをチャーターし出発。
08:10〜トリスリ(休憩)〜カリカで昼食(AruとMilktea)〜Dounche Lodge 14:20。
Douncheの手前で雨期には必ず崖崩れで道路がなくなるほどの悪路を小1時間ドライバーが慎重に運転し前が見えなくなるような急斜面を
通過。
晩飯までの時間を裏山のゴンパに散歩したり養殖場を見学して晩のつまみニジマスを注文した。
初日でもあるのでビールで乾杯

12月29日 起床06:30、朝食07:30 チャパテイ、卵焼き
08:10出発、いきなり急斜面のルート(古道)を登るが対岸の山の斜面には点々と家があり段々畑が棚田のように広がり、そこに行く道がどこ
にあるのかまるでわからない。道といってもクルマの走れる道路は国境までの1本のみであとは登山道だけだ。
11:30(13:00) Brabal
昼食:Chowmen、Chickinsoup、Aru、Milktea
昼からは多少平坦な山道を途中山火事で燃え残りの林間を過ぎ急に途切れ途切れの車道ほどの登山道になり、将来此処にも立派な道路が
できる予定だという。やがて下りのルートには段々畑と村が見えた。
15:30 Thulu Syabru(上のSyabruという意味)Yeti Lodge
Dinner:Momo,Chowmen Roxy。
丁度晩飯どきにBirの弟のZaiさんが到着した。朝のバスで入りその足で此処まで来たんだという。彼らの足は只者ではないね。
9時からオリオン星雲のバルブ撮影。

  中央 ガネッシュ・ヒマール(7406m) 右 ランタンU(6596m)

12月30日 起床 06:30、気温 0℃ 朝食07:00
07:30出発、真下に見える川まで下りSyafrubensiからのルートと合流。一度300mほど下り]また100m登りまた下るがようやく川岸まで来たとこ
ろで、温泉の湧Pailoに到着。11:00(11:15)Milktea
Langtang Kholaを一路登りとなるが対岸の岩棚に巨大な蜂の巣が10個ほど見えるが大きさが分からない。1、5時間ほどでBamboo到着。
13:00(14:25)
昼食:Chowmen、Milktea
16:30 Remche、Langtang View Hoptel Lodge
Dinner:Chowmen、Momo,Misosoup,Roxy

12月31日 起床06:30 気温3℃ 朝食:チャパテイ、卵焼き、味噌汁
出発 08:10 1時間程の急登を喘ぎながらLama HotelのLodgeでお茶此処はよく利用するというLodgeで親父のガラガラが印象的だった。
少し長めの休憩をとり、川沿いのWoodland(Chunama)2700mの木材の集積場があるとこで建築材を運ぶポーターが数か所で炊飯準備のためか
煙が立ち込めていた。
此処からLangtang方面の木材運搬で長い板や柱材を担いだポーターが通るたびに彼らが蟹のように横歩きすることになる。
11:45(13:15)
昼食:Chowmen、Misosoup
15:10(15:25) Gohra Tabela (Teatime)
16:35 Thangshyap Vill Buddha Guest House
Dinner: ダルバート、モモ、チャン Roxy
8時からOrion 撮影
左から Langtang山群、 Langtang Lirung(7234m)、木材運搬のポーター、草を食むヤクとLangtang

2012年1月1日 起床 06:30 -2℃
朝食:チベットパン、Milktea
出発 08:10〜10:30 (11:05) Langtang Vill,Piece Full guest House
12:58(14:30) Monerstery Guest House 1軒だけの小さなLiodgeで母チャン1人で今朝入山して、去年雪崩でこの周辺が相当やられたらしい。
昼食:Aru、そばで拵えたパン
16:55 KyangjinGumba 最終目的地に到着。積雪は6,7cm。
あたりは終日の曇りと次第にガスに覆われてしまい今夜もまた雪が続きそうだ。
Dinner: Veg.Chowmen、もも、トマトスープ。此処にはRoxyはなくビールとドブロク。
左から そば粉のパン、ランタン村の子供、雪崩で埋もれたマニ石

1月2日 起床 06:30 気温-3℃
朝食:7:30 チャパテイ、卵焼き
予定では4200mのランシサカルカまでだが雪の状態もあり様子見に出かけることにする。
Zaiさんと2人で行動ということで他は留守番。
Langtang Kohlaの左岸を湿原を迂回しながら1時間のところでGanchenpo 方面のガスが切れ始めたのでしばらく撮影(0:10)
やがて登りこう配も急になり積雪も膝下ほどで、先行するZaiの靴が雪まみれになりオイラのスパッツを無理やりはかせてやる。すでに足首は
雪で濡れていたが、乾燥した粉雪で冷たさはないと言っていたが本当かな、でも彼らはこんな事ではへこたれないらしい。
10:10 Yana Karkaに到着。それにしてもZaiさんのスピードについてきたが、此処まで確か3時間ときいていたが本当かな。
Karkaの横にZaiさんが三脚を立てる場所として雪を攪いてくれた。東にドルジェ6979m、ドルジェラクバ6966m、ガンチェンポ6387mが頂上に
多少雲がかかりなかなか全貌を見せてはくれない。南にナヤ・カンガ5848m、ボンゲン・ドブク5930m、遥か西にはLangtangUが雲間に見え
隠れしている。
28mmから300mmまでレンズ交換して、30分ほどで撮影終了というか雲に覆われ始めたので機材の整理を始めたら、Oulaが到着。
昼飯を運んできてくれた。
昼食:Tibettan Bread,Egg,Orange,ビスケット
帰路:11:20〜13:35Kyangjingumba
LodgeではTチャンがガラス越しの食堂でまどろんでいた。
午後は夕方までつかの間の山の休息をボケーと過ごすことにした。
Dinner:Veg.Fried Rice、Momo、OnionSoup、また酒。
左Ganchenpo(6387m), 中 Pangen Dopku(5930m), 右 Langshisa Ri(6427m)と奥のピークがDorje Lakpa(6966m)

1月3日 起床 06:30 気温 -9℃ 
朝食:Aru, 蕎麦がき、Milktea
出発:07:50 昨日の天気でも雪は相変わらず残りツェルゴリ4984mは下りが滑落の危険があり(日本では当たり前だろうけれど)中止し、予定を
変えて今日もZaiさんとLangtangの目の前にあるKyangjin Li4773mを目指して登ることにした。
だが、ルートは雪で埋まり(吹き溜まり40cm)ルートをはずして登山道らしきルートの横をジグザグに登る。これが意外ときつく久しぶりに汗をかい
てしまいネックウオーマーと上着をぬぐ始末で、立ち止まると風が冷たい。
09:10チョルテンのさらに先のピークに到着4435m。積雪は25cm。第一ピークは雲の状態が心配ですぐに撮影の準備をして、その間はZaiに
キャラメルと梅干でくつろいでもらい、360度の4000mからの大パノラマ撮影に時を忘れてしまう。Langtang Lirung7234m,Tyanbo 6251m,
Kimshun 6745m,Yubra 6264m,Langtan・Yubra 6048m、Yanza Tsenji6567m、〜Ganchenpo,Dorje Lakpaの展望撮影と煙草を
吸う間もなくシャッターを切る。
残念名ことに名峰Langtang主峰とU峰はあのEverestと同様Jet気流のせいか全貌は見られず。幸いなことにKyanjin主峰まで足を延ばして
いたら撮影のタイミングを逃したかも知れない。すぐに雲が張り出してきた。
下山:09:45〜10:35Kyangjin Gumba到着。
Oulaが笑いながらBirとNさんは先に帰ったよと言った。なぜ。。。。下山にまた時間がかかるからだと。
Porterの二人はおいらが荷物を纏めている間、髭そり、洗濯で陽だまりの中でさっぱりしていたが、オイラは下山するなら頭だけは洗いた
かったなあ。
出発:11:10-12:10バッテイでお茶。
12:25-13:30LangTang(Piecefull Lodge)此処で先行組に合流。
昼食:Aru、Sobagaki、Milktea
14:30-16:55 Gora Tabela到着
Dinner: Chowmen、もも、SanoRoxyドブロク
夜中に月明かりにLang Tangがよく見えたが眠いのでバルブは止めて寝た。
左からTsergo Ri(4984m)とGanchenpo(6387m),Kinshung(6781m),Yansa Tsenji(6567m),Ganchenpo(6387m)

1月4日 起床 06:30 気温 -2℃
朝食:チャパテイ、卵焼き、Milktea 朝はストーブがないのでキッチンで竈の前で飯。
出発:08:10 〜10:50 Lama Hotel
11:15kara12:00 Remche
昼食:Aru、そばがき BlackTea
13:25〜14:55 Bamboo
16:10 Pailo(0:10)〜16:55 Doban(Rasuwa)露天風呂が川の向こうにあるが丸太の橋が危険だということで温泉はあきらめた。
Dinner:ダルバート、マス、Roxy
日本からAnnapuruna 100Kマラソンを踏破してきたというSさんに会い晩飯のひと時を過ごす。日本に帰りブログで走り出したチャンドラーを
見て今までの経歴(成績)にまた驚いた。ただものではない。
また、夜中に大地震で目が覚めた。ドスンと二回目だそうな。
これがもしも、ヒマラヤの地震だとしたらどうなっていたかなあ。


1月5日 起床 06:30 気温 -2℃
朝食:チャパテイ、卵焼き、Milktea
SさんはこれからKyangjinGumbaに向かい石段をすたすた登って行った。100Kマラソンの後だというのに馬力は相当だね。
出発:08:15-10:25 Syafrubensi(壜の底という)
昼食:Chowmen、Veg.Soup,EverestBeerで乾杯。
今日はストライキということで車の音がしない。
Kathomanduまでの四駆車のチャーターをしているがなかなか来ない。
14:45ようやく迎えの車が到着し乗り込むがおまけ付きで後部座席に三人で荷台に二人+2+1、さて何人乗ったかな。でこぼこの急な悪路を
1時間揺られると荷台の連中が心配なのと4時間もかかる行程はシートに座ッていてもけつがいたくなる。(来る時がそうだった)
途中Doncheで1人入れ替わりまた一人追加で乗るが、さすがに車は重宝です。またいつの間にかいなくなるのも峠道ならではの光景だ。
18:45 Kakani Hill到着。2100m Kakani Hill Guest House
Dinner:お約束の若鶏の肉炒め、チャーメン、Roxy、チャンでTrcking最後の晩餐
 チェック ポストから望むランタン( 7234m)とシャブルベンシ

1月6日 起床06:40 気温 0℃
カカニの丘へ日の出撮影にゆく。
07:00 最初にManasuluに朝日が射し、次第にAnnapuruna、Ganesh、LangTangと雪の肌が白く輝き始める。超望遠600mmに切り替えて
の撮影は初めてのことで僅かな振動もぶれの原因なので電子シャッターで撮影が必須。
やがて、お邪魔しているLodgeのオーナーが出てきてMornig Teaのおもてなしと色々説明してくれていたが、こちらはそんなこと耳に入らず。
残念なことに東側のクーンブ方面は雲と林でみることはできなかった。
朝食:チャパテイ、卵焼き
昨日の四駆車が10時ごろの迎えの予定が燃料がないということで、待つことしばし、ようやく11:45に到着し今日も1人おまけつきでカトマンズへ
向かい1時間ほどでBir’s Houseへ着いた。10間の旅お疲れさまでした。
先にシャワーでさっパリが勘違いして、水で冷たーい思いをした。山で洗った方がよかったかも。
昼食:和食、Beer で乾杯、乾杯。
Dinner:そば、他 もう酒が腹に収まらずPugyo,プギョ。
   左から マナスル(8158m)、ガネッシュ(7406m)
山群、望遠


1月7日 起床 07:20
朝食:08:30
11:30から買い物に出かける。
昼食:何時ものタメルの中華飯店で焼きそば、もも、Beer
14:30 Bir Houseに戻り荷物整理。
2時間程昼寝
Dinner:水炊き、ニジマスのフライ、Beer,Roxy また、プギョ
21:00-25:00 トリブバン空港でフライト待ちが機体不良でキャンセルされてカトマンズ市内の Crown Plaza Hotelに収容。
シャワー。
国際電話もつながらず、寝た。

1月8日 起床 06:30
朝食:07:15
国際電話を再度試したが、つながらない。
09:00 トリブバン空港へ
13:30→HongKong20:05→23:00 Park Lane Hotel
空港でTicket渡しに手間取り、中国人の要領の悪さが露呈した。バスに乗るまでまた同じこと。
HotelのCheck INに同じことを繰り返す始末でもう腹が立つたね。
晩飯時間がほとんどなくそれでも、選ぶ食材なしで一応のBikingだとさ、Beerでホッと一息、連日のHotel収容も日本への国際電話がようやく
つながり無事と怒られたような感じで何となく釈然としない。それでも機体トラブルで言い訳がましく理由も付いている。

1月9日 起床 06:30
朝食:Biking
シャトルバス: 07:45-08:30 空港
#28 CX520 10:20 HongKong→15:10Narita
15:45→18:20 Machida→Home 18:50
お疲れ様でした。 


三回目のヒマラヤ トレッキング
2009年12月23日〜2010年1月14日



              

                       
                  2010年1月2日 MT Everest(8848m)カラパタール(5545m)より

12月23日 成田-香港経由でカトマンズ到着午後11時30分(日本時間午前2時)、出迎えのビルの用意した車でビルの自宅へ向かう。
5年ぶりだが相変わらずネパールはクラクションの音でやかましい。
12時に到着するとマヤ夫人と弟のアムリットが出迎えてくれたが挨拶もそこそこに、明日からの日程とトレッキング費用を払い
明日からの荷物を整理して床に就いた。ベットはその辺のホテルに負けないような広い部屋である。

第1日目
12月24日 5時少し前だろうか、ビルがお越しに来た。
まだ外は真っ暗だが、6時には飛行場に着き早朝一便の搭乗手続きのためチェックインを済ませた、昨夜Dahaka(ダッカ)で晩飯を食べて以来なので、
無性に腹がへっていたので朝のミルクテイがうまい。
7時過ぎにほかの飛行機はルクラへと出てゆくが我々のSITA AIRはなかなか案内がなく一度バスに乗り込んだが出発の気配がないので聞いてみると、
なんと機長はまだ来ていない。天候待ちでとうとう9時20分過ぎの離陸でルクラには10時に到着、これがこの国の常である。
(11:15) Budha Lodgeで今回のポーター手配と昼飯を採りトレッキング開始だ。ポーターの名前は(エンジン)で人の良さそうな、ビルと年も同じくらいか
我々の荷物を一つにまとめ嬉しそうにしていた。
Tadokosi-Pakding-と通過してBenkarに到着したのが(16:50) Fall View Lodge泊
先に荷物を担いだエンジンが30分手前のところまで迎えに来た。初日にしては大分頑張ってしまったが、明日の行程を考えてのビルの配慮がうなずける。
 メンバー紹介: ガイド=Birbahadur Magar日本で山小屋働いていて日本語が話せる  ポーター=Engine 
 日本語は無理(手で話す)
晩飯前に、まずブランデ-で乾杯し、初日のビールもさすがに疲れを癒やす飲み物だ。歩行時間5.5H


12月25日
6時30分起床 快晴、気温0度 標高3440m
昨夜は9時頃就寝したので前夜からの睡眠不足も解消し、爽快な朝だった。チャパテイにジャム、バターとミルクテイの朝飯も美味だった。
ロッジ前で何やら紐やシーツのようなものを迷彩服を着た二人が作業を始めた、どうやけが人を乗せる担架だ。聞いてみると高山病のトレッカーをルクラまで
搬送するそうな。そんな光景を見ながら
8時に出発。
Dodokoshiからナムチェまでの急登にかかるつり橋を渡り休憩所(茶店跡)でTちゃんが蜜柑売りの娘から200RSで蜜柑(スンタラ)を買いビタミンCを補給
した。蜜柑を値段交渉して買ったがこのネーちゃんが頑固でマケテくれなかった。
ナムチャ手前の茶店には今回は警備の警察はいないので、尋ねると最近はマオイストが出て以来場所が変更になったそうだ。
Josare着11:30(昼食)〜NamcheBazar着(15:35)
A.D.Frendship Lodge
前と同じLodgeでAnn Dorje Sherrpaに会うことが出来て、日本の最新情報で富士山で事故が起きたことを話すとエベレストは彼らのガイドをしたことがあり
寂しそうにしていた。Ann Dorjeは毎年北アルプスに出稼ぎに来て日本のことをよく知っている。
帰ってから富士山写真集2種類を贈呈しましょうと言ったら喜んで引き受けてくれた。(ただ、ちゃんと届くかどうか不安もある、なぜなら手紙など届かないことが
よくあるからだ)

12月26日 5時30分起床、-5度 快晴
日の出撮影に軍施設と博物館のある丘に登り、エベレスト、アマダブラムの撮影をする。
トレッカーは我々の他に誰もいない。快晴で雲ひとつない7時近くまで撮影してLodgeへ引き返し、朝飯後9時出発し、Bazarで買い物をしてから今日は高度順応
かねての行程である平日のためバザールはあまり混雑せずそれでも活気があり現金を見せながらの値段交渉は見ていてもなかなか成立しないのでこちらも
見ているだけで飽きない、そんな中ビルが買い物を済ませて戻ってきた。自分のサンダルと蜜柑でミカンは50RSだったと笑っていた、昨日は途中で買ったら200RS
もしたのに。確かにバザールは安くまた値段交渉でどうにでもなるそうだ。
Syanbocheの飛行場横を抜けて見晴らしの良い丘に行きKhumbu Mount View(3900m)でスパゲテイとホットレモンの昼飯。このLodge前で久しぶりに日本人
女性に会いしばらく長話をした。この二人は幾度か来たことがあり一人は写真店を持ち特にヒマラヤの人々の写真を撮っているという。また、明日から北部のThame
まで行くと言っていた。意外とマイナーなところを選んでいて子どもと老人の写真をテーマにしていた。
昼飯の間に Eberest View Hotelにヘリコプターが数機着陸した、聞いてみるとカトマンズから昼食のためにわざわざ大金を使い来ているようだ食後はここを横目に
Khumjung(3790m)に下る。GokyoとKalapattar分岐付近でダフェー(キジ)を探しながら、KyanzumaのLodgeまで下り14:40到着。Tamseruk Lodge泊

              
12月27日 6時30分起床 快晴 -5度
朝飯はパンケーキ、トマトスープで軽めにした。
8時10分過ぎに出発し、今日の行程は一度3200mのPhunki Tangaまで下り一気にTenboche(タンボチェ)3867mまでのぼることになる。1.5時間ほどでPhunki Tangaに
着いたが、此処にかかる橋が新しく付け替えられていた。これは昨年の洪水で直径8.9mもある岩の根元から崩れて写真のように90度反転している。さらに新しい橋の上に
長さ120mほどの橋の基礎が出来ていた。思えば5年前も新しい橋を造り流されていて、たびたびの洪水で今回大工事にふみきったそうだ。
10分ほどの休憩をしてから、今回は直登ルートを避け右側を行くことにしたのでヤクやゾッキョ、ロバにはほとんど会わずに済んだ。
登山道の合流地点に今日もポーターのエンジンが迎えに来てくれて二人のデイバックを担いでくれたので助かる。午後1時Tenbocheの寺の門をくぐったところが今日の宿
泊地のHimalayan View Lodgeだ。
ホットレモン、スパゲツテイの昼を食い、2時過ぎに今日も高所順応に出かけ森林限界の4100mまで行きEverest,Lohtse,AmaDablamの撮影や記念写真を撮り、珍しく
雲が湧きだし、あっという間に5000mの山も雲間に見え隠れする。
途中に小さなチョルテンが三つあり、その中での一番大きなものには此処の寺の高僧が眠っているという。生き仏で石を塞いだ跡があり、思わず手を合わせて ナームー??
今夜のLodgeは昨日までと違いお客が13人と大変なにぎわいでダイニングルームはいっぱいになり、ストーブの周りは満員で空席なし。
夜は見晴らしも良い場所でもあり夜間撮影と決めていたので8時からオリオン星座とAmaDablamを9時過ぎまで撮影してLodgeに戻ったら玄関を閉められていて、勝手口を
探すのに苦労した。締め出されてドアーを叩いても反応しない原因がわかった、小屋の連中はカードに熱中してきずかなかったのだ。(冷や汗もの)笑い 

   
 洪水で反転した岩と橋の残骸                          新しい橋 (この上に大きな橋を架ける予定)

12月28日 6時30分起床 晴れ -8度
朝食はトマトスープ、チャパテイ、紅茶、餅1枚
8時15分出発、Panboche目指して今日も一度300mほど下りさらに400mの登り返しのルートも北斜面のせいで指先がかじかむほど寒い、行き交う人も少ないので意外と
快適に歩くことができるが急ぎ旅でもないので景色を楽しむことで疲れも忘れそうだ。つり橋を渡り南斜面に変わると急に気温が変わり上着一枚脱がないと暑くてたまらん。
Panbocheで早昼飯の時間だが最近はLodgeも客が少ないせいか半分くらいは皆Kathomanduに遊びや子供のところに出かけCloseのところが多く今日もあいている店を
探すのに苦労する。ビルが探している間石垣などに腰をおろして休憩。。ようやく見つかり昼飯だ。
11時過ぎに午後の部が再開し1時30分にShomare着。前回宿泊したLodgeで、高山病で此処から2日間下山したところでもある。そのころいた娘も17.8歳になっていた。
30分ほどお茶をしてからまた高所順応(4300mまで)に行く。
ポーターのEngineはどこかに遊びに行き夕方ストーブの火が入る頃に戻ってきた、またどこかでばくちでもしていたのかな? そういえば彼にまた煙草をやらないとそろそろ
なくなる頃なので、2箱渡したら喜んでいた。他に楽しみががなくオイラは当分の間、禁酒禁煙だから。言い訳はしないが吸いたくないのも高度の影響があるので忘れていた。
夜はピザ、シェルパスープ。毎度のようだが8時には就寝。ナマステー

12月29日 6時30分起床 快晴 
朝食、チャパテイ、トマトスープ
この先は前回引き返したため初めてのコースとなり、8時10分出発。
Tsuro(9:10)-Dinboche着 11:10。
此処で高所順応のため2日滞在予定。明日はアイランドピークのBase Camp 方面への順応でChhukung(4730m)まで登る。
昼食にジャガイモとスープを食い、午後は今日の順応のため午後1時にPokalde Peak(5794m)の途中まで行くことにした。
この山の途中にはGompaが二つあり修行僧が長期間修行に入るところだという。Gompaは急峻な斜面に立ち食料などはまだしも、水はどうするんだろうか。
山の斜面ではヤクがところどころで10cm満たないような草を静かに食んでいる。5000m位が家畜の生存限界(それ以上は草がほとんどないため)だがそれにしてもこんな急な
ところで生活しているものだ。おかげでLodgeの貴重な燃料になり エコとはこのようなものかも知れない。
今まで迫力があり目立っていた Ama Dablamもここまで来るとさらに山容が変わり迫力が増し、西方にはKang Tega,Tamseruku よく見渡せる。上からは1日がかりで順応に
出掛けたのであろうか、数人のパーテイーが下山してきた。
高度差約400mの4600m地点まで行き今日の順応は終わり。(13;00-16:00)
晩飯はEgg PizzaとTomato スープで腹を満たし、ストーブで体の芯まで温め床に入る。
夜中に頭痛がしたので、ダイヤモックスを1錠のみそのためか朝まで5回もトイレに行ったが、朝には頭痛は治まり薬の効果は絶大だ。

12月30日 7時起床。 -5度 晴れ
8時55分出発、1日かけてThhukungまで順応に行く。
高度のせいか手袋2枚でも指先が冷たくなりしばらくの間ポケットに手を突っ込んで歩く。氷河のモレーン地帯のような河原を黙々と歩き、途中でアイランドピークに登頂してきた外人
(俺達も外人だったね)のパーテイに会うがみな顔を布切れで覆い男か女かよくわからない1人は高山病のせいかよろよろ歩きで荷物はガイドが背負いPangboche方面に
下って行った。
12時15分にChhukung(4730m)に到着。Lodgeは3件くらいで此処でもジャガイモが出来るらしく畑が少しある。
今日も昼はジャガイモとレモンテイを食って、Lodgeの夫婦としばらく記念写真やおしゃべりをした。
13:55-15:40 Dingboche着。
小屋の主人がアツアツのお絞りを持って来た時は2人でびっくり、こんな山の中でずいぶんサービスがいい。今までなかったことでまるでホテル並みだね。
晩飯はSpagetti、餅を食い、ダイヤモックスと水をたっプリ補給して寝る。

12月31日 7時起床 -6度 積雪6-7cm
昨夜遅くから小雪が舞い、明け方には薄っすら積っていた。
ありがたいことに、雪で土埃を吸わずに済むと思うと嬉しくなった。また心配ごとも一つ、Cho La峠越えである。
09時出発、今日の行程はこの先のTukla(4620m)。Yaku Lodge泊
スパッツをつけ、新雪を踏みながら峠のチョルテンがある分岐まで約15分で登り小休止、先行するTrckerのトレースをついてゆくようにのんびり登る。途中Phericheからのパーテイが
17,8人見えたが、どうやら日本人らしい。Tuklaで昼飯の後さらに先のLobucheまで行くというが、4時ごろ到着すれば高所順応は出来そうもないが大丈夫なのだろか。
彼らは長野からツアーで来た山仲間だという、みな還暦を過ぎた人たちで女性が大半だ。2日後の我々がKala Pattarに登る日には皆クルしかったとか喜んで下山していった。
こちらはまた、高所順応に Awi Peakの途中まで行く。此処でもヤクの糞がいたるところにあって、この季節は餌がないので多分もう少し下に行っているのだろう。
エーデルワイスの枯れ草がいたるところにあるが、花のシーズンはさぞかし素晴らしい景色だと思う。(13:00-16:50)
晩飯 Veg.Pizza、餅。

1月1日 7時 起床。室内-5度 快晴
他の宿泊客と新年のあいさつを交わしたりして朝飯をすませた。チャパテイ、焼き卵と味噌汁に紅茶。
9時出発、ジグザグの急登を1時間ほど登ると峠で、ここはヒマラヤで遭難した人たちの慰霊碑が連立する丘には色々なレリーフがあるしばらく休憩と写真を撮り、すぐ先まで行くと
高峰Nuptse(7879m,Pumori(7145m)が見える。峠の対岸のCho La峠に向かうTreckerが2人、この雪のあるなか峠越えが出来るのかな。我々はビルとの話でこのルートは
断念し、一度3200mのPortseTangaまで引き返し迂回することにしている。。緩やかな登りは賽の河原のようで氷が張り太陽に反射しきらきらしている。
左はLobuche(6145m)でやがてLodgeが見えるとそこは今日の宿泊地Lobuche(4930m)3軒ほどあるなかのAlpine Lodgeに11時40分到着し部屋に荷物を置き昼飯を注文。
今日もジャガイモ(アルという)レモンテイとミルクテイで軽く腹に入れたつもりがついに腹一杯になった。1時から最後の高所順応にLobuche Peakの途中まで向かう。
丘を1つ登り、さらに急斜面を5155mまで高度を稼ぎ高所順応を終了し3時にLodgeに帰ってきた。
晩飯はSpagetti、味噌汁で腹を満たし、ストーブの周りにに張り付くように泊まりやガイド連中と団欒し体が温まった頃に明日の登頂を考えながら就寝。

1月2日 6時起床。
トースト2枚にジャム、紅茶の朝飯
7時25分出発、いよいよ今日はエベレストが拝める日である。
大きな岩や石の点在する川底のようなルートを進む8時過ぎにはNuptseの右稜線から太陽が顔を出し今までは指先まで感覚を無くすほど寒かったがやがて指の感覚も戻りさすがに
お天道様はありがたい。最初は平坦な道もやがて今にも崩れそうなガレた道に変わり登り降りを繰り返した頃 Pumori、LingtrenとNuptseが迫ってくる。
10時ごろエンジンがいつものように岩に腰を降ろして待っていた。ゴロゴロした岩を登り左に巻いたその先にモレーンの左にGorak Shepと最終地点のLodgeが3,4軒見えた。
とうとう此処までの長い道のりを10日間掛けて到着した。
10時40分 Himalayan Lodge到着。ポーターのエンジンが庭先に置いた荷物を部屋まで運びベットの準備をして早昼を食べに行く。 Kala Pattharは午後の時間帯が展望が
よく
右からの光線で写真撮影もそのほうが都合がよい。(午前中は逆光だからだ)
昼飯は今日もまたアル(ジャガイモ)にヤクバター、トマトスープで済ませ12時にKala Pattharのピークを目指してビル、エンジン、Tチャンと4人で登るが二人の荷物を彼らが
それぞれ担いでくれるので我々は手ぶらだが、さすがにGorak Shepが5100mを超えているので普通に歩くだけで息が切れる。
Lodgeから水が干上がった湖底のような砂地を渡り、水汲み場の横から標高差約500mを登る。1時間ほどで1段上の緩やかなところで、エベレストが見え始めた。(感激)
途中何度か小休止をとり、山頂の手前100mあたりからエンジンと先行し、14時35分ついに大きな岩のあるKala Patthar(5545m)に到着しエンジンと握手。
三脚を立て撮影の準備がなんとも気が急いて、まるで落ち着きの子供のようで自分で笑ってしまった。時間の立つのも忘れるというのがこのことかもしれない。デジタルカメラの
1DsMarkV、G11、望遠レンズを交換しながらバチャバチャ撮りまくる。(人が見たらこいつは何だろうとおもつたかも)エンジンはこの光景を岩の上からズーッと見ていた。
やがてビルとTチャンが到着(15時30分)全員で記念写真を撮り、世界の最高峰を十分満喫し下山する。出来れば夕陽のエベレストの写真が撮りたいのだが長い間は待てない。
下りはさすがに早い、1時間ほどで Lodge 着いた。
この日は興奮していたのか、晩飯に食ったものをメモするこさえ忘れた。Treckerも大勢いてガイドを入れるとストーブの周りはとてものんびり暖をとることもできない。
ヤクを連れた団体はテント7張りで食事だけLodgeのKichinを借りて準備するのだというが、仲間同士和気あいあいで最高地点でもありテンションも上がり今日が一番賑やかだ。
7時30分過ぎには寝る準備をして、少し上の高台に行き星とNuptseを夜間撮影し9時過ぎに寝る。興奮していたこともあり寝付かれなく、今まで高所順応を十分重ねた成果で
高山病の症状今まで出ていないので夜中にはまた撮影に出た。

1月3日 6時45分起床 -7度
朝飯、トマトヌードル、味噌汁、紅茶。
8時5分出発、今日から2日間は下山することになる。昨日までの最高峰のワクワク感とは逆にエベレストを見られた達成感を残し今日は4200m付近のPhericheまで下る
予定で行動する。昨日の登り下りの丘も今日は気持ちよく感じられた。昨日は1組だけすれ違ったTreckerが今日はいない、昨年の不景気がそのままこんなところまで及んで
いるのかLodgeもクローズしているとこが目立つ。
2時間ほどでLobucheに着き小休止してレモンテイを飲み、また先を目指す。下山は4人一緒でポーターのエンジンとビルが話をしながら歩くが会話が全くわからない。多分
世間話だろうが彼らの会話にはとぎれることがない。先日の登りでは氷の川も今日は気温が高いせいか氷の下で流れの音が聞こえる。ChoLa峠分岐の扇状の河口では
ヤクが10頭ほど草を食んでいた、この間はいなかったのにどこから来たのだろう。こんな不思議な光景を何度か目にした。牛はLodgeで飼っていて、ほとんどが荷物を運ぶ
ときに出番がくるとビルが説明してくれた。知らないから不思議に思うのだが、夕方になればちゃんと戻るし寒さににも強く高所に生きる動物であり耳には飼い主の着けた名札
のようなものもある。
12時20分(13:00)Tukla で昼食、久しぶりでSpagettiを食べた。DingbocheとPhericheの分岐を稜線と別れKhumbu Khola(川)のあるコースへ下る。
途中、振り返るとはるか先にChola峠へ回り込むルートがかすかに見渡せる。予定通りなら明日は、Gokyoに着くのにと???
もうすでにPhericheの村が見えるのだが、平らな道を川沿いに1時間余りでHimalayan Hotel
に到着。本当は隣のビルの知り合いのLodgeがよかったが閉まっていたので
高級そうな此処に決めた。14時45分着。(まだ新築間もないような立派な建物である)外では韓国人のTrecker
が2組宿探ししていたが勝手口で何やら話をしていたようだが
少し先のLodgeへ行ったようだ。今夜は英国人のオバサン風の人と3人だけだ。(今回はLodgeの貸しきりが何度かあった)
食事の前にはコックが熱いお絞りを出してくれてこれもまた驚きである(高級ホテルなんだなあ)
晩飯はSpaggeti、味噌汁 広いダイニングでテーブルをストーブの横に置いて飯を食う。

1月4日 6時15分起床-7度 ほぼ快晴
 
7時15分朝食、チャパテイ、炒り卵、紅茶。
7時55分出発、谷底のような地形のため寒いのでポケットに手を入れて歩くTsuroでDingbocheとの道に合流しOrshowまでは陽がささなかった。
Shomareで行きに宿泊したLodgeに立ち寄りホットレモンを注文し休憩、あのかわいい娘が今日もいた。今日は行程が長いので先を急ぎPangbocheまで足をのばし、
10時15分昼飯とする。(上の村と下の村がある)上の村にある1軒だけの Everest Lodgeでアル(ジャガイモを蒸したもの)とヤクバター、ホットレモンだが此処のアルが
一番旨かった。深いImja Kolaを見下ろしながら巻き道のようなルートで野生の鹿を10数頭見つけた、警戒心が少ないないのかすぐには逃げない。
少しずつ高度を上げて Portse Laに14時到着、広いジャガイモ畑のあるPortseの村が一望できる。さらに300m下ると Portse Tanga(3200m)だ。
Portseからの下りでは林の中で鹿のような動物で名前を忘れたが角がなくおとなしい奴で雪の中をのそのそ歩いている。黒いのでよく見ないとわからないほどだ。
下りの途中で久しぶりに日本人に合いどこまで行くのか尋ねるとPortse Tangaから散歩に来たと言う。(サンダル履きの高所だった)
Portse Tanga 15時着 River Side Lodge泊
夜は賑やかで、 Treckerが10人(ポーター、ガイド7人)新婚さんの日本人もいた。半年かけて旅行の途中で思いつきでヒマトレだと言っていたが、カトマンズで山用品を
買い2人分を1万円で揃えたようだがずいぶんと安い買い物をしたものだ。また途中で逢ったT場さんという人は現地で一緒になったコロラドから来た米国人と高所順応なしで
入山したようだ。若いということもあるが大丈夫かなあ。
久しぶりにロキシーで乾杯し、つまみはヤクの肉と晩飯はVeg.Pizza、トマトスープでさすがに酒の利きも早い。
明日からの登りに備えて7時30分に就寝。

1月5日 7時15分起床 -5度 晴れ
ブラックテイ、チャパテイ、炒り卵、トマトスープ
8時30分出発、日本とアメリカの混成チームは勢いよく飛ばして行ったが今日はMacherumoまで足をのばすと言っていたが、そこまで行くと高所順応の時間がないので
人ごとながら高山病が心配だ。後日帰りのJorsareで再会したがRenjyo Passを越えてきたが、相当苦しい思いをしたようだ。
急な登山道を休憩を繰り返しながら登り、途中全面結氷した滝を三か所通過し、2時間半ほどの急な登りは終わりあとは平坦なルートで、11時15分にDoleのCho Oyu 
Lodge(4084m)で昼飯にしたが、隣のLodgeが新築中で大工さんが泊まるため小屋は営業しているらしい。
Hot Lemonが50Rs,Aruが200Rsだ。我々の食事の準備が終わると外で大工の飯の準備に忙しい。
13時出発、緩い登り降りを繰り返すと巨大な岩に抱きつくように建つLhafarmaの1軒宿、Mountain ViewTop Hill Lodge(4320m)に到着。母と9歳の娘が経営する
Lodgeでこの娘がよく働く。(5年前にもいた子供である)
今日から高所順応もしないので晩飯までは外で日光浴したり、写真を撮ったりして過ごす。至福のひと時でもある。夜はSpaggeti,トマトスープ、ストーブで餅2枚を焼き
貸し切りの夜を堪能した。
寝るには物足りないので石垣に三脚を立ててKantegaとオリオン座の撮影をする。前方下にはPortse村の明かりが見える、この付近では水力発電で電気が通り久しぶりに
日本と同じ街明かりを感じた。夜中にもう一度起きて撮影をしたが、朝までトイレにも起きず熟睡した。

1月6日 7時起床 -5度 快晴
チャパテイ、炒り卵、トマトスープ の朝食。
娘と別れの挨拶をして8時50分出発、今朝は太陽がさして寒さも感じられず急登もないので快適に歩くことができて最高だ。10時にLuzaの小さな村で前回あった茶店は
Lodgeになっていた。小休止の後緩い丘陵地帯を越えるとMacherumoに着き11時15分から2時間ほどの長い昼飯をとりその先のPangka(14,5年前に雪崩で村が押し
つぶされたところ)まで行く。2時に着きなんだか様子がおかしい、エンジンが荷物を置いて待っていたがLodgeが閉まっているではないか。2軒とも閉鎖では泊まることが
出来ないので、Macheremoまで引き返すことにした。雪崩で潰された場所を見に行くとそこには[岳人]と彫った遭難日が建てられいた。往復1.5時間のお散歩をしたこと
になる。シーズンオフなのでこんなこともあるが、日本では考えられないことだ。
3時にMacherumo(4410m)の同じTreckers Lodgeに到着し泊まることになる。

1月7日 6時起床 -6度
6時45分朝食 朝早いので チャパテイと紅茶で済ませた。
7時出発、7時45分昨日引き返したPangkaを通過し、此処からは緩やかだが登りになる。昨日宿探しをしたときにいた牛飼いの家ではお爺さんが今日もいて、この周辺に
牛を放して生活しているらしい。Dudh Kosi(川)の流れも寒さのせいか流れの脇は氷ついている。
川の流れを眼下に見ながら石畳みの階段を少しずつ高度を上げて小一時間登ると鉄製の橋がかかりLangponga pokhari(3番目の池)の横を抜けると水鳥のツガイが
4.5組陽だまりを楽しむように遊んでいた。氷河のモレーンは此処が先端らしく50m程の丘がGokyoまで続き、此処から年末に降った雪がそのまま残り僅かに踏み跡が残り、
Treckerが少ないのでトテースがわかりにくい。さらに先に行き2番目の湖Taujan Pokhari (水深33m)で小休止、しばらく雪景色の写真を撮る。
10時過ぎに全面結氷のDudh Pokhariniに着き、Gokyo Peakと最終地点のGokyoのLodgeが見渡せる。湖畔を進み上から2番目のNamasute Lodgeに入る。
周りのLodgeはほとんど閉鎖していて静かだった。前回と比べると周辺のLodgeは改装したり、新築されたところもある。二階の角部屋に荷物を降ろし一息ついてから
食堂に行き昼飯を注文(相変わらずジャガイモ)し、紅茶を飲んでしばらくくつろいだ。
12時30分、いよいよ今回2つ目のピークを目指して登山だ。ビルとエンジンに荷物を預けて急登をゆっくり(ビスタリ)登る。上から4,5人下りて来たが今日一日で出あったのは
この人たちだけで、いかに人が少ないかがわかる。登りで4,5回休憩しながらヒマラヤの絶景を楽しみ、手前100mくらいからエンジンと二人でガンガンピーク目指して登り
2時55分、Gokyo Peak(5483m)到着。
エンジンはおいらの手順を心得ていてすぐさま三脚を出し撮影の準備を手伝い、岩の上に腰を下ろして煙草に火をつけた。それを見て思いだしたようにおいらも真似をする
ように自然と煙草に火をつけていた。(11日間の禁煙終わりだ)やっぱり山での一服は旨い。
約1時間、1DsMarkV、G11での撮影で独り言を言いながら撮影していた。3,40分遅れて、Tチャンとビルが到着してから記念撮影。
ヒマラヤの絶景を見たり楽しんでいるよりはカメラを覗いている時間の方が長かったようだ。
北からCho Oyu(8201m),Gyachung Kang(7922m),Hunchhi(7020m),Everest(8848m),Lhotse(8516m),Makalu,遥か西方にKang Tega等360度の
大パノラマを満喫し、このままでは去りがたいが下山。途中ビルがヒマラヤのライチョウ(コウマ)を見つけて撮影、羽根が茶色に白い斑点とすじ模様がありの夏山に見る
色で1年中色は変わらないと言うが、二羽のツガイだが日本のライチョウとは少し異なる色だった。
5時10分、Lodgeに到着しタイミングよく Cho Oyuの夕焼けを撮影した。
本来なら、ビールで乾杯したいところだがもう1日我慢し、Veg.Momo(餃子)Masu(ヤクの肉)、ロキシー(焼酎)で皆で乾杯して餅と味噌汁の晩飯を食った。

1月8日 7時起床 快晴
7時30分朝食 チャパテイ、卵焼き、味噌汁。
8時出発、しばらくGokyoを振り返りながら歩き9時50分一番水深の浅いLangponga pokhariに到着。
さすがに下りは快適に歩くことができた。Macherumoに11時35分到着し、同じLodgeでMilk Tea、ジャガイモと紅茶の昼飯をとった。今日はPhortse Tan
ga
まで
下るので早めに引き上げ先を急ぐ、Luzaを1時10分に通過、2時40分Dole、さすがにくだりでもそろそろ疲れが出てきたが4時15分PhortseTanga到着。
Lodgeには先客が多く、先日と同じように総勢13人と賑やかな夜だ。River Resort Lodge泊 
アイスクライミングのパーテイーが4人、親子連れが2人、他に3人、2人 とオイラ達だ。
晩飯はロキシーで乾杯してチーズピザ、サラダ、餅、味噌汁で盛り上がりビルがまたロキシーを追加して持ってきたがもう少し飲んですっかり出来上がりそれ以上は
飲めないのでプギョ。(もう十分という意味)それにしてもこのロキシーは美味い。

1月9日 晴れ
6時40分起床
朝まだ早いからと思いながら食堂に行くとすでにストーブに火が付いていた。3200mだから寒くはないが、やはりストーブがあれば気持ちも温かいような気もする。
野菜オムレツ、MilkTeaの朝食。
8時30分出発、ビルが精算している間に先に出かける。今日はまた700mほど高度を稼ぎ2回ほど登りの繰り返しの予定で朝飯をひかえ目にしたので失敗したかな、
この後やたら腹が空いたが後悔しても始まらない。Monlaへの途中崖の上で草を食んでいる大きな鹿を見たが、角が長くたくましい姿だ。
標高差がある割には2時間で到着し、お茶を飲みたいが4軒あるLodgeはすべて閉鎖していた。これからGokyoに行くのか若い連中が4,5人一人また一人と集まりさすがに
若いなー、Tシャツ姿で歩いている。
Monlaで15分ほど休憩し出発、これからしばらく下りルートで10日あまり携帯の電波が届かないところからようやくビルの携帯が通じるようになりしばらくの間はビルの
携帯は忙しくあちこちに連絡していた。
川から300mほど上の急傾斜の斜面のルートをまた少しずつ高度を上げKhumjungには12時20分到着、此処でまた昼飯予定の休憩場所のLodgeが閉鎖していて
オーナーはカトマンズに遊びに行って留守だという。すぐ前のPanorama in Hotelでホットレモンとジャガイモの昼飯を食う。ヒマラヤでは一番裕福な村で衛星テレビが
放送されている。ただ、ほとんどが音楽番組で聴いていても意味がわからない。
13時50分、お母さんに見送られて、Syangbocheに向かい高台の公園を通り飛行場を横切りNamche Bazarに下る。最近は滑走路が整備されてヘリと飛行機が両方
着陸できるになった。
Namche Bazar15時20分到着。Lodgeは行きに泊まった A.D.Friendship。
荷物を整理してから食堂に行きしばらくの間ストーブに火が入るのを待ち、待望のビールで乾杯をした。夕方はあいにく霧(雲かもしれない)が出て夕陽の撮影を諦め
て、早めの晩飯を注文。久しぶりに顔を洗ったり、体を拭き鏡を見るとまるで別人のような風貌で思わず自分でも噴き出す始末(汚い顔)」。
酒の肴はマス、ヤクステーキ、オニオンスープ、ビールを2本300Rs(@350円くらい)他にブランデーを3人で飲む。
イギリス人の年配の夫婦が早々と晩飯を済ませて部屋に引き揚げたが、翌朝コースのことで地図を広げて相談していたが何処へ行くのだろうか。奥さんの方が積極
的で、旦那はうなずくだけで見ているとどうも心もとない。
8時頃までストーブにへばりつき宿の主人と談笑してから床につく。

1月10日 5時30分起床 快晴
6時15分に一足先に軍の監視所がある丘に着き、撮影準備をする。
快晴で日の出写真はあまり面白くないが、それでもさすがにエベレストは美しく今日が最後の撮影ででもあるので7時少し前まで撮影し引き揚げた。
朝飯は野菜入りのオムレツ、トマトスープ。
8時10分出発、ナムチェを出てからすぐに畑にダフィを見つけたが距離があって撮影出来ない、それでもと追いかけるがやはりキジの種類はチョコチョコと足が速く
林の中に消えた。4,50分下るとまた、あの休憩場所に蜜柑売りのネーちゃんがいて値段交渉するがまけてくれない。商売がうまいのか強気だ、仕方なくTチャンが
買いビタミンCの補給をする。ナムチャとルクラの間は往来が激しく、ロバや馬、ゾッキョがどんどん下りてくるのでそのたびに土埃で鼻をふさぐが彼らは生活のためだ
から文句の言いようもない。
Jorsareのチェックポイントで証明書に判を貰い11時、少し早いが昼飯にした。
メニューはFried Noodle、LemonTea、BlackTea.
12時出発、Monjyo、Benkarを通過し、15時PhakdingのEverest Guest Houseに到着。
木造の建物で意外と風格がある。Lodgeの裏庭では近所のおじさんらしいのがCard博打をしていたが覗きこむとすぐに辞めて蜂の子を散らすようにいなくなった。
ストーブに火がつく前に、ビールを注文し、今日も乾杯。やっぱり壜ビールがうまいなー(それとヒマラヤでは気温が低いので冷やすこともしない)。
晩飯時に現地の親子連れ(Portseからきた)が泊まり、近所の子供も一緒に晩飯だ。アットホームな宿で70才になる宿のお婆さんも交えて記念写真を撮る。
宿の主人は片言の日本語程度でとても気さくな人だ。

1月11日 6時45分起床 晴れ
7時30分朝食、オムレツ(卵2個)、トースト2枚とMilkTeaで今朝は格別美味い、お母ちゃんの料理が上手な性もある。
8時25分出発、とうとうヒマトレも最後でルクラの石の門をくぐる。
朝から若い連中が大勢ルクラに向かい村の出口で50人はいたと思うが太く親指ほどの長いケーブルに紐を括りつけ運搬していって、電力ケーブルの取り付け工事
に使うのだとビルが教えてくれた。
ケーブルの長さ150mほどはあったヒマラヤでは人力かロバ、ヤク、ゾツキョが輸送手段で、角を曲がるときはどうするんだろうねー。
12時Lukla Buddha Lodge到着。 泊
18日間のTreckingを終えて、無事に帰ってきたのだ。
昼飯前にビール3本、FriedMomo(餃子)、Spagetti。Treckingを終えたこともあって今日の食事は格別に美味い。
食後の散歩に滑走路の長さを確認しようと飛行場に出るが警察官に怒られたので、策の外を歩き先端まで見に行くと1年前に墜落したという大きな岩が黒く焼け
事故の痕跡が生ナマしく残っていた。15人中生存者は一人だった。その後離着陸の条件が厳しくなり、風や霧、雲の天候では回復するまで飛ばないことになる。
飛行場を一回りしてLodgeに戻り、荷物整理、髭そり、洗髪をして夕方までしばらく御昼寝をした。
夕食、ビール、ロキシー、つまみはマス、FriedMomo、チャ−ハン、トマトスープ。

1月12日 6時起床
朝飯、オムレツ、トマトスープ(パン付)
7時過ぎに目の前の飛行場へ行き、Check Inを済ませしばらく待機。
7時40分頃にKathmanduからのSita Airは遅れているという情報がすぐに出たに変更されたと思ったら間もなく轟音とともに到着した。下り立つ客は少なく貨物が
出てくるだけで、すぐに搭乗したが搭乗客は5人だけでシートベルトを締めたらすぐに動き出した。
あっという間の出来事で、8時丁度に滑走路の端に出てけたたましくエンジン音を立てて離陸した。
ヒマラヤの山々を見ながら、乱気流で相当揺れたがそれでも雲の間を抜けてKathmanduに到着。飛行時間40分。
ビルの自宅に9時30分到着して、荷物をかたずけて3週間ぶりのお風呂に入るが、なかなか石鹸が泡立たない。それでもお風呂はありがたいものでビルに感謝。
12時、マヤさんの手料理でチキンフライ、肉、そばそれと当然ビールの豪華な昼飯をごちそうになった。
晩飯は、鍋料理とまたまたお酒ですっかりお世話になりました。

1月13日 起床時間不明
朝飯後、町へ買い物に出かけた。
ターメに行きTシャツをオリジナルで注文し、お茶を買いに行くが案内された場所は一人では行けないようなところで、途中方向さえもわからぬようになる。
Tシャツは450RsでGokto、KalaPattharの名前も入れたものだ、お茶は店の主人が値段交渉しても譲らず表示価格で買わされた。(もともと安いので仕方ない)
タメルの中華飯店で昼飯を食いタクシーでビルの自宅へ戻る。
荷造りを済ませて最後の晩餐をして、空港へ行き出国手続き。
約1時間遅れで香港経由の飛行機に乗り

1月14日 午後2時30分 成田到着
3週間のヒマラヤ トレッキングを終えた。


               

              2010年12月27日 Ama Dablam

              

              2009年12月27日 Ama Dablam(6812m)タンボチェ(3867m)より

              

              MT.Everest 右は Nuptse (7879m) 

              

              Chumbu(6853m)Pumorii(7145m)

                

              2010年1月2日 Ama Dablam(6812m 
              

              Nuptse(7879m)

              
                 
              Kala Pattarより AmaDablam,KangTega,Tawoche

              

 
               2010年1月8日 Gokyo Peak(5483m)より MT Everestを望む

              

              Phari Lopche(6075m)
              

               Gyachung Kang(7922m)

              

               2009年12月28日 Lhotse (8400m)





 
ヒマラヤトレッキング:
   2005年12月24日-2006年1月15日(23日間)

      
                    Mt.Everest(8848m)Gokyo Peakより                 

2005年12月26日
1日目 カトマンズ〜ルクラ〜パクデイン
行程 約3.5時間


     

              ルクラ飛行場                         200m位の滑走路 
 
朝の第一便は天候回復待ち(霧)で11時5分離陸、ツインオッター15人乗りはルクラ着11時50分。
滑走路横のBuddha Lodgeでポーターと合流してから昼食を済ませて13時トレツキング開始。標高2886mから一度下り、Phakding(2640m)までは登り下りの繰り返しで約3時間の行程で初日のStar Lodge到着。

12月27日
2日目 パクデイン〜ベンカー〜モンジョ〜ナムチェバザール
行程 約7時間40分
途中3つつり橋を渡り2800mの地点から3450mのナムチェバザールまでの標高差650mをヤクやトレッツカーと土埃の舞う中をすれ違いながら登ることになる。
登りは急な坂ではあるが、背中の荷物が軽い割には意外とペースが上がらず話好きの韓国人に声をかけられ息が苦しいのに迷惑な話である。トレッキングはどこの国も休みが取りやすいのか行き交う人が多く、にぎやかなものである。特に現地の人は顔で判るのであろうか日本語で話しかけてくる。
山門を潜り抜けるとナムチェバザールでのここの地形はすりばち状の緩斜面に所狭しとロッジやみやげ物店が立ち並びまるで都会にもどった錯覚がした。
     
          
パクデインのロッジ(右端)                   ナムチェバザールと山門
12月28日
3日目 ナムチェバザール〜シャンボチェ〜ナムチェバザール(高所順応)
行程 約4時間
朝6時起床で軍の施設がある小高い丘まで日の出を撮りに出かけた。不思議なものでエベレストだけがピンクに染まり、他の山は黒く朝焼けの色が付かない。
展望はエベレスト、ローツエ、アマダブラム、カンテガ、タムセルク、そしてすぐ目の前にはコンデ・リとまさに天空にいる気分である。今日は高所順応でシェルパのナン(チャン)だけが同行しシャンボチェからエベレストビュウホテルまでのお散歩気分でカメラを担いで出かけるが、なかなかこれが意外と苦しく3880mのビューホテル付近では富士山より高いため自然とペースが遅くなる。
ホテル前のテラスでコーヒーを注文してエベレストを眺めながらのひと時は実に至福のひと時、しばらく8000m付近を流れるジェット気流に見とれてしまう。
シャンボチェ飛行場では建設機材や荷物の搬入でポーターがどこまで運ぶのだろうか長い木材やトタン板を担いで行く光景が印象的である。それにしても彼らは日本のボッカ以上だろうか歩くのが早い。
     
            エベレスト                        エベレストビューホテルから
12月29日
4日目 ナムチェバザール〜サナサ〜プンキタンガ〜タンボチェ
行程 約8時間
朝6時起床、今日も又日の出を撮りに出かけたが周りにはほとんど日本人で外国人はいない日の出をような習はないのかな。朝出発するときにヘリが墜落したようでものすごい音がした。幸い怪我も泣く大破ですんだそうだがあたり一面に部品が散乱していた。今日の行程は午前中が下りでプンキタンガから3860mまでの600m余りを一気に昇るわけで昼飯後のきつい行程になる。
タムセルク(6608m)とカンテガ(6779m)を右手に見上げながらのきつい登りも3回ほど休憩を取りながらようやくクーンブヒマール最大のゴンバに到着した。さすがに気温も夕刻には下がり始め防寒を着たりストーブの火が恋しくなるが、貴重な薪やヤクの糞も4時すぎでないと火が入らない。アルコールとタバコは心肺機能の低下になりかねないため下山するまで封印して最後の酒、タバコを吸ツたのがいけなかった。
     
          
カンテガとタムセルク(右)                  アマダブラム(6812m)
12月30日
5日目 タンボチェ〜パンボチェ〜ショマレ
行程 約4時間30分
朝から200mの下りでエベレストには相変わらず高速で雲が動いている。順調に進んだ道もパンボチェの登りでとうとう高度障害が出てしまった。今まで自分から休憩をリクエストしたことがないのでそれだけきつかったと思う。
パンボチェは日本の援助で水力発電の設備があり対岸に送電設備が設置されこの村だけには電気がきているらしい。(ほとんどの村は個人のソーラー発電)
パンボチェではアマダブラム6856m(母の首飾り)がひときは大きく聳えエベレストにもグーンと近ずいててきた実感がする。ショマレ(4010m)に着いた時には息切れと、頭痛で戦意消失状態で翌日は順応下山で仲間2人と別れ3日後の再会を誓いプンキタンガ(3200m)まで下りることになる。

12月31日
6日目別行動:高度順応でプンキタンガまで下山
昨日のルートをシェルパとポーター3人で下りる。プンキタンガで橋を渡りEvergreen Guest Hauseに12時少し前に到着し、午後は一人静かに休養をとる。4000mから800m下り行動中にすでに高度障害の影響はなくなり体調は完全に回復していた。この繰り返しがヒマラヤの高所順化だというこを肌で体験した。夕刻近くにキッチンでロッジのスッタッフと手話状態の会話で心温まるひと時が翌日からの活力になった。夕食にシェルパの携帯食のヤクのハム肉と持参の餅を焼きスタミナをつけて長い眠りに就いた。

2006年1月1日

7日目 プンキタンガ〜クムジュン〜プンキタンガ
行程 約6時間30分 高度順応でクムジュン(3790m)まで
今日はシェルパのナンブールと二人で8時半に出かける。カメラ類の荷物はすべて彼が持ち空身の自分がなんとも申し訳ないようである。テシンガでポーターが一人高山病で担がれてきたがどうやら間に合わず息を引き取ったという。仲間が傍らで検視がくるまで待つらしいが高所で働くポーターでも高所順応は欠かせないものであると聞かされた。クムジュン村手前でダフィー(日本で言う雉)が雄雌ツガイで畑の隅に出てきたがカメラが間に合わず写真は撮れなかった。この村には諸外国からの支援で建てられたという高校があり周辺の村から子供たちが通い校庭でも熱心に勉強している光景を見学した。村全体が屋根の塗装がほとんど同系色(青色)で塗られ、まるでヨーロッパの赤屋根を思わせる。村には唯一1本だけ街灯が設置され最近のソーラー電池も進化したものだと感心した。
学校の目の前のロッジで昼飯を摂りに入るとここでも店の主人が衛星テレビを見ていた。スパゲッテイとジャガイモを食べて店を出る。村の裏手(東側)には聖なる山、クーンビラ(5761m)が聳え何人も登ってはいけない山だと言う。

1月2日
8日目 プンキタンガ〜タンボチェ〜パンボチェ
行程 約5時間
今日は31日に分かれた仲間と合流する予定日である。
先日はあんなにきつかったタンボチェへの登りが今日は息切れなしで2時間で来た、この間は確か4時間近くかかったはずが順応の効果だろうか。丁度10時にタンボチェに到着してテイータイムはミルクテイーを飲みもう一度エヴェレストの雄姿を見ながらタンボチェを目指して歩を進める。シェルパの知り合いの娘が経営している小さなバッテイに寄り今日はここでスパゲッテイーを食べた。先日は下りでお茶を飲んだが余り記憶にも無かった。
食後はハヤル気持ちをシェルパに諭されながら彼らがどこまで先に行っているか判らなかったが、パンボチェ近くの水場にもう一人のポーターが石の上に座ってニコニコしているのを見て大体の状況がつかめた。仲間はこのすぐ先まで下りて来ているという。やはり一人が体調を崩し、ぺリチェから先には行かず日程調整のためカラパタールを断念して次のゴーキョに焦点合わせることにした。
明日は迂回ルートからポルツェタンガに下り、ドーレ、ゴーキョに入るコースを選択した。

     
       
タウツエの南側からクーンビラ(5761m)            ローツエ(8516m)の夕日

1月3日
9日目 パンボチェ〜ポルツェ〜ポルツエタンガ
行程 約4時間
今日だけが3人揃い行動できる日で休みの都合で一人帰ることになる。
この日は下りでパンボチェ3901mから3260mのポルツエタンガまで急斜面の岩場ルートでエベレストに背を向けて歩くコース賑やかなエベレスト街道からは北ルートになる。コンデ・リ、クーンビラを目の前にしながら行き交う人はほとんどいないので埃の心配も余り無いので快適だ。4時間の間に2組だけ会うが静かでとても気分が爽快だ。ポルツェでバッテイに入り少し早いがフライドヌードルで昼飯を食べた。
ここの主人は1980年代に中国遠征隊に参加しチョー・オユとエベレスト登頂をサポートし感謝状を戴いている。たっぷり時間をかけてお茶を飲みそこから眼窩のポルツエタンガに下る。River Resort Lodgeに到着し、ここで仲間が一人日程の都合で帰国するためシェルパ、ポーターの3人を見送る。
こういうところでの別れはなぜか寂しい思いがする。

1月4日
10日目 ポルツエタンガ〜ドーレ
行程 2時間50分
9:30出発、今日はドーレ(4040m)までの予定なのでのんびりゆっくり急な登りを800m高度を稼ぐことになる。
途中の景色はあまりよくないが岩壁にはアイスフオールが幾つかできている。乾燥のため氷の上もさほど滑ることもないが逆に、水分を含んだ氷では滑れば登山道から数百メートルも奈落のそこに落ちることになる。
正月も明けてトレッカーが少なくなりこの日は人にあうことも無く年末年始の賑やかさが嘘のようである。
2時間位で急登も一段落し、やがて遥か先にチョー・オユ、ギャチュンカンが姿を見せ振り返るとカンテガの左にピーク41の白い三角錐が姿を見せた。ドーレのYeti in Lodgeでスパゲッテーを食べ食後の運動に更に1時間かけて高度順応のため途中のピークまで往復する。夕方まではのんびりダイニングで居眠りと日記の整理をした。
夜は久しぶりに星空の夜間撮影をしたが、気をつけないと泥棒にカメラごと盗まれるからとポーターが横で見張りをしてくれた。ヒマラヤ山中は日本より危ないようだ??

1月5日
11日目 ドーレ〜ルザ〜マツチェルモ
行程 約6時間
昨日行った小高い丘まで登ると、マチェルモの右上にはチョー・オユ(8201m)、ゴジュンバカンT、U、V(7942m)ギヤチュンカン(7922m)、ロブチェWest,East(6145m),タウチェ(6542m)後方にはカンテガ、タムセルクと壮大なパノラマが見えた。カメラをどこに向けるか迷ってしまうほどのスケールだ。
トラバースルートの下遥かにDudh koshi(ミルクの川)が流れいくつもの支流からやがて初日に見た川へと合流する。長い平坦なルートを行くとマツチェルモの村が見た、大きな集落で小川の手前に5軒、その向こうに3件のロッジがある。どこもソーラー設備が屋根にあり照明の心配はなさそうで、それにしても豪華なLodgeだ。
お茶を済ませて昨日と同じように上の丘まで順応に出かける、シェルパが同行しカメラを担いでくれたが彼らは客の安全にはかなり気を使うようだ。2時間位だが少しでも高所順応すれば後が楽で正月以来息苦しい思いをしていないことに気付いていなかった。(高度100mの上り下りでも順応が出来てしまう)
Namgayal Lodgeと言い外では馬、牛が草を食べていて夕方主人が口笛を吹くと集まってきてジャガイモを旨そうに食べていた。夜には現地の小屋に物資を売りにきた連中が集まりカードゲームに興じ負けると点棒代わりの豆で払い後に精算すると言う。どこの国でも同じようなことをやっているんだな。ほかに遊びが無いのもなんとなく解るような気がする。
      
      
Peak 41(6648m)左端とカンテガ、タムセルク       ドーレと中央がPhari Lapche(6075m)

1月6日 快晴、気温-5度
12日目 マツチェルモ〜パンカ〜ゴーキョ(4790m)
行程 約4時間30分
いよいよ往路最終地のゴーキョを目指す。
マッチエルモを出てパンカの手前で1月3日にパンボチェを同時に出発した南アフリカ人の単独行トレッカーが下山してきた。彼はすでに昨日ゴーキョに登り今日は帰ると言う。それにしても随分早いペースで我々の二倍で歩ったことになる、恐るべしやつ。パンカで小休止を取りここで9年前に大雪で大きな雪崩が起きて村ごと埋まり邦人を含め14人の犠牲者が出たことをシェルパから聞かされた。日本でもこのことはニュースで報じられたのを思い出したが雪崩が起きるような傾斜にも思えない場所である。急な岩場の階段状ルートを登りドゥード・コシ横に氷河の先端(モレーン)を横目に詰めるとLongpongo Pokhari(小さな湖)から一気に滝のように流れ落ちる。
平坦な河原を進み湖をもうひとつ越えた処に最終地ゴーキョが突然現れた。ドウード・ポカリ、一面氷に覆われた湖だ。氷の下から龍が鳴いているような氷のきしむ音がする。(龍の鳴き声とはどんな声か想像してください)
正面にゴーキョ・ピーク(5360m)その奥にはチョー・オユ(8201m)ゴジュンバカン(T、U、V)、ギャチュンカン(7922m)が雪をタップリかぶり聳えている。しばらく写真を撮り約10分程で最終地ゴーキョのGokyo Resort Lodgeに到着。荷解きしてから熱いミルクテイーとお茶、焼きそばとスープを食べる。
明日に備え更に東側にある小高い丘に今日も又順応に出ると途中からポーターと犬がお供に付いてきた、3日前に見た犬がなぜかゴーキョまで来ていた。
丘の上からゴジュンバ氷河の全容が見えて処どころに青氷もあり全長は約30kmで、スイスのアレッジ氷河程広くはないがすごく長い。夕方小屋の主人にデジカメのバッテリーの充電を頼んだが前にも聞いていたが250Rs(約470円)は驚きの値段だ。
明日のゴーキョ登頂に備え荷物を整理して8時15分就寝。

     
中央チョー・オユ(8201m)、左ゴーキョ・ピーク           ギャチュンカン(7922m)

1月7日
13日目
6時30分 起床、気温-6度、曇り
昨日までは連日快晴だったが、今日は雲が多い。
オムレツ、チベッタントースト、スープと餅1枚の朝食を済ませ8時出発、ドウード・コシを飛び石伝いに渡りジグザグに急斜面を登る。頂上まで高低差約600mあるが見た目には300mくらいにしか見ない、山が大きすぎるせいだろうか。一歩一歩が希薄な空気のせいで息が切れるがシェルパ達は歌を歌いながら歩き、彼らの心肺は比べものにならないほど強靭だ。相棒は特に心臓がとびだすほどヒーヒー息ずかいがしている。一時間ほど上るとようやく後方にエベレストの頭が見え始めた。時間が過ぎるのも忘れようやく12時にゴーキョ・ピークに到着、思わず握手を交わし念願のピークに立つことで目頭が熱くなるのを感じたた。頂上は大きな岩とチョルテン(旗)で飾られて丁度先行していたパーテイが下山するところだった。
左から、チョー・オユ、ゴジュンバカン、ギャチュンカン、プモリ、エベレスト、ローツエ、マカルー、を始め360度の大パノラマに思わず、ここまで来れたことに感謝感激だった。

ポーターが三脚やカメラの準備を手伝い4人で記念写真やエベレストの雄姿を撮影し、昼飯のサンドイッチとフルーツを食べながらの世界一の頂上を眺めるのも至福のひとときだ。
あいにく空は鉛色だが贅沢は言えない。
いつかもう一度是非来たいことと、エベレストの真紅の夕焼けを見たい。
ネパールからは8000m4座を今回確認し、21年前のアンナプルナ、マナスル、ダウラギリの3座を含めて残りは1座だけである。
頂上では1時間滞在して帰りは丁度1時間でロッジに着いた。

    
      Mt.Everest(8848m)                       Cholatse(6440m)

    
      Phari Lopche(6075m)                     Ama Dablam(6812m)
1月8日
14日目 晴れ、気温-6度
エベレストは見れたし、今日はマツチエルモまで下り予定。
途中で一人の日本人と出会い60才台であろうか、かなり苦しそうでガイドが一人付いて声をかけても挨拶を交わしたしただけで行ってしまった。二番目の湖に鴨とオシドリが数羽陽だまりでノンビリ泳いでいたがこの高度まで来ると鳥の種類や数も少ないようだ。
同じゴーキョから下りチョラ峠を越えて更にカラパタールに向かうトッレッカーに逢うがこのパーテイのガイドはとても話好きと情報交換のためしばらく我々のシェルパと長話をしていた。ヒマラヤでは情報伝達手段は直接会和の中から得ると言うことを聞いた。なるほど、ラジオ、テレビではほとんどニュースは聞くこともできないのである。
高巻きの平坦ルートを徐々に下り12時35分到着。

1月9日
15日目 快晴
7時40分出発、今日も一路ポルツエタンガ(3675m)まで下り、更にモン・ラ(3973m)へ一気に最後の300mを登る。
ドーレから急な下りの途中にアイスフオールがありTシャツ姿の外人グループ約十人いたであろう重そうなクライミング装備を担ぎやってきた。11時30分ポルツエ・タンガで久しぶりに顔と頭を洗いさっぱりしてから紅茶、スパゲテイを食べて12時30分最後の急登開始。帰りの目途も予定通りきているが高度300mに1.5時間もかかり午後2時モン・ラのブッダロッジに到着。この小屋からでシャンボチェ付近が良く見渡せはその先あたりで山火事の煙が数時間に渡り夕方の空を染めていた。

1月10日
16日目 晴れ
モン・ラ〜クムジュン〜ナムチェバザール〜モンジョ
昨夜、同泊の牛使いのオジサンは朝飯後放し飼いにした牛を集めナムチェへと行ってしまった。昨日窓から見ていたら連れて来た牛は山の傾斜面に追い込んで置き朝集めていたが不思議なもので朝にはまた、登山道に牛が山から出てくるものである。
クムジュン村で小休止してからシャンボチェの見晴らし台(夢の楽園)で最後のヒマラヤ写真を撮り、ナムチェバザールまで戻ってきた。
11時15分ナムチェで昼飯。カトマンズへ電話をし無事戻ってきた旨連絡してモンジョへ向かう。
ナムチェバザールは相変わらず賑やかで午後のせいか共同洗濯場では男も女もせっせと洗濯していた。
ここからの下りは相変わらず土埃が立ちマスクをしないと歩けない。チエックポイントのジョサレでは往路に新築工事を始めていた石積工事も帰りにはだいぶ進んだようで現場監督らしいのが図面片手に作業員に指示しているのか活気にあふれていた。すぐ近くの代わりのホテルでトレッキングビにサインしてもらう。しばらく行くと、まだオープンしたてのモンジョのロッジ到着。女主人は留守だが10歳の娘が応対して、二週間ぶりにビールで乾杯をした。
久しぶり飲んだためか本当に旨い。
ここで休止していたタバコも再開し、ポーターににも数箱チップ替わりに上げると彼も旨そうに吸っていた。

     
          
夢の楽園より                   ルクラよりヌンブル(6957m)の旭日
1月11日
17日目 快晴、気温-2度
モンジョ〜パクデイン〜ルクラ(Buddha Lodge)
今日はルクラで明朝一番機の予約のため7時に出発する。
途中のTok・Tokで小休止、このすぐ上の山が先日の山火事が起きたところだと教えてくれた。
山全体黒こげが見えた、それにしてもシェルパはどこで情報入手したのだろうか?
しばらくだらだらの登りでCheplungでの昼飯は紅茶とスパゲツテイを食べた。
13時15分最終地ルクラに到着、すでにポーターはそうとう早く着いたのであろうシャワーを浴びてさっぱりした顔で出迎えてくれた。ロッジのテラスで無事を祝いポーター、シェルパと全員でエベレスト・ビールで乾杯をした。本当にご苦労様でした。

1月12日
18日目 快晴
7時に目の前の飛行場でCheck Inするが待つことにはなれたが10時55分にようやく離陸、200mくらいの滑走路を谷底に落ちるように飛んだところで全員が拍手をする。それくらい怖いところでホット胸をなでる。
ヒマラヤの峰嶺を眺めながらカトマンズのトリブバン空港に着陸した。

行程地図